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創建年代は不明だが、本尊が鎌倉末期から室町中期の作と伝えられ、古くは、大受院という名の七堂伽藍を擁する大寺院であったらしい。


この貝塚で見られる貝は、ヤマトシジミが主体をなし、次にマガキ、ハマグリが続く。縄文式土器が出土し、諸もろいそしき磯式期の集落にも接しているため、縄文前期の遺跡と思われる。


関東管領山内上杉家の家臣大石氏の戦国時代初期からの居館といわれている。
本郭は志木第三小学校校地付近と推定され、昭和60年の発掘調査では大堀の跡が発見され、柏の城の実在が明らかになった。


推定樹齢400年以上。おしべの一部が花弁状に変わった旗弁をつけるヤマザクラの一種で、新種として確認された栽培品種。


新義真言宗智山派。創建は、建武元年(1334) ともいわれるが、定説はない。江戸時代には三代将軍家光が鷹狩りの際休息したのが機縁となって御朱印地を賜った。また、「お地蔵さんとカッパ」「ほっぺたの黒いお地蔵さん」の伝説が伝わっている。


延暦年間(782〜806)に坂さかのうえのたむらま上田村麻呂ろによって勧請されたと伝わる。近世を通じて、舘本村、中野、引又、北野( 新座市) 、針ヶ谷(富士見市)の5か村の総鎮守であった。


正保5年(1648)造立。石幢の六面に六地蔵を配した歴史的価値が高いもの。


寛文7 年(1667) 造立。光背に「武ぶしゅうにいくらぐんひきまたむら刕新倉郡蟇俣村」とあり、引ひきまたむら又村に「蟇俣」の字が使われている唯一のもの。

 
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